【愛すべきMusic Nibたち~】
ミュージック・ニブ(MS)は国産3大萬年筆メーカーから発売されているが、Wスリット(=2本の切り割り)が入っているのはプラチナとパイロットだけであってセーラーは1本式だ。
と、いきなりマニアックな切り出しで失礼。今回は極太異質なMSペン先の話。

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通常のニブ(=ペン先)はスリットが1本だが、そこを2本にすることでインクフロー(=インクの量)を潤沢にして縦線を極太にするのが『ミュージック・ニブの流儀』であり、個人的嗜好でもある。そのWスリットにハート穴をあしらったのがプラチナだとすれば、パイロットは穴無しでS字状の紋様をニブ上に彫り込んでいる。(もちろん、プレス加工による)

Wスリットは限りなくニブ上における「ギミック」であり、その2本のスリットは見る者を魅了し、書けばその独特のインクラインに惚れ惚れする。文字が上手いも下手も関係ない。俗に「へたうま」と呼ばれる文字がある通り、どんな文字でもその人の個性の表現なので恐れることは何もない。極太(B)の平らな縦線と細字(F)のようにシャープな横線は音譜を書くためだけでは勿体ない。手帳用などの細かい文字には不向きだが、それでも大きな文字を好む人であれば特段の決まりなどは何もないので自由に使えばよいだろう。

余談だが、「万年筆」は一般名詞としての表記。個人的に好みのクラシカルタイプ、即ち大きな比翼形状のペン先と太い胴軸、回転キャップ式のモデルを特に意識して「萬年筆」と旧字体で表記している。

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【愛PEN達が叫んでいる。“Midnight Blueを早く入れろ”、と。】
長年、中字(M)を好み、太字(B)や細字(F)は殆ど使わなかったが、最近は繊細な細字のニブも好みとなっている。これも年齢と共に嗜好に変化が生じる一例だろうか。
とは言え、今年は久々にWスリットのカリグラフィーっぽくもある極太ミュージック(MS)の気分なので、モンブラン製の重厚なインクボトルから「ミッドナイト・ブルー」のインクを専用スポイドで吸い取り、Wスリットに流し込んで使っている。

萬年筆の書き心地を実感する季節が今年もまたやってきた。

“No Ink, No Life”

プラチナ(上)とパイロットのミュージック・ニブの萬年筆。
2本とも女性初のペンドクター宍倉さんにお願いしてインクフローを多めに調整頂いた。
そのお陰でペン先を裏返しにして「細字」でも文字が書けるようになったことは「副産物」となった。
両者ペン先のイリジウムの大きさにも注目。Wing-Tip(靴)のようなニブの造形美にもシビレル。
プラチナ製#3776の14K・Wスリット式ミュージックペン先。
1978年、作家であり萬年筆コレクターであった故 梅田晴夫氏が中心となり開発されたのが元祖#3776の「ギャザード」。
そのDNAを継承するのが現行の#3776シリーズだ。下段参照。
パイロット製カスタム74の14K585・Wスリット式ミュージックペン先。美しい。
パイロット前身の並木製作所、「ダンヒル・ナミキ」以来、伝統の球形クリップは大の好み。
シンプルで古風ながらも不思議な安堵感を抱かせる歴史的デザインが秀逸。

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【プラチナ萬年筆#3776について】

この機会に#3776についての雑感を述べる。
萬年筆好きであれば#3776がプラチナと作家の梅田晴夫によるプロジェクトで開発されたことを誰しも知っている。1978年の発売後、半年で15万本も売れた記録を持つのだが、この時の愛称が「ザ・万年筆」、即ち、最高の萬年筆を作ったということで大いに宣伝されたことをよく覚えている。そしてそのネーミングもモンブランに対抗して富士山標高の3776mを冠する力の入れようであった。1000本を超える萬年筆コレクターの梅田晴夫がそのコレクションから12本の優れた萬年筆の長所を分析し、懇意のヘビーライターである50名の作家仲間からアンケートを取り、数々の意見やアイデアも取り入れながら、特に重量バランスとペン先の大きさ、そして本体の軸形状の3点に拘って作り上げたものだ。その結果が「ザ・万年筆」、つまり、この1本が最高の萬年筆だという自負と宣伝で世に送り出したわけである。

これが梅田晴夫とプラチナの肝煎りの1本、「ザ・万年筆」こと元祖#3776ギャザード。
ペン先のハート穴は正に💛形状だ。一時期、ボルドー色も発売されたと記憶するが、やはりこの「黒金」が王道だろう。
このギャザードによる指先や握り時のタッチの良さを深め、また、空冷エンジンの冷却フィンのような放熱効果を
持たせることでインキの温度を一定に保ち、インクフローを安定させることに寄与すると言われている。

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【開高健の異論と彼の萬年筆について】

これに対して異論を唱えたのが開高健である。
彼は梅田晴夫のアンケート協力要請にも応えたのだが、著書の中で辛辣な意見を述べている。曰く、『器物と人との出会いは予測不可能なのであるから、万年筆に「ザ」を冠するのはユメにすぎますまい』、と真っ向から反駁したのだ。
開高健は自身の愛用萬年筆について、モンブランの『エボナイトの細筒(註1)に心身が託してある』『中字用のありふれた万年筆』を『手の指の一本のようになってしまっている』ほどに愛用していると述べている。彼の主張をかいつまんで言えば、萬年筆とは使用者の愛用とクセと長年の使用期間を経て育てられるものであって、最初からスキになれる代物では決してない、ということだ。更に言えば、ブランドは有名でも無名でも何でもよく、長年の利用と言う「忍耐」が求められるのであって一朝一夕には誕生しない。それは結婚生活と同じである、という主張だ。
更には作家の梅田晴夫を称して『一生を玩物喪志(註2)でうっちゃった(註3)人』とまで表現しているから相当辛辣であった。両者の関係性が分からないのでこれが単純批判であるのか、梅田晴夫に対する親しみを込めたイジリ表現も含むものかは定かではないが、開高健の文章を読む限りでは強く真摯に萬年筆に対する接し方と愛情を語っている。

(註1) 開高健の愛用萬年筆はマイスターシュテック#149の中字と言うのが「定説」であり、多くの「証人」の談話からも事実であると理解している。しかしだ、#149はモンブランで最大極太の胴軸であり「エボナイトの細筒」の表現には適合しない。ましてや#149は既製品とは言え『ありふれた万年筆』では決してないので、「エボナイト製」ということも考慮すれば、実は別のクラシカルなモンブランモデルの可能性もあるのではないかと妄想している。1970~80年代の#149でエボナイト製の「ペン芯」を使ったモデルが存在することは知っているが、彼の言うところの「エボナイトの細筒」という表現に誇張や脚色がなければ、胴軸そのものが細いエボナイト製ではないかと勝手に想像している。例えば昔の「オノト萬年筆」のようなペンをイメージするのだが、開高健のごつい右手を考えるとオノトでは少々細すぎる。若しくは、#149の極太の胴軸さえも彼の手には「細筒」に感じたのかもしれないが・・・。そんなことをつらつらと考えることも楽しい。まぁ、最終的には開高健が述べている通り『お尻をひねってインクを吸入する仕掛けになっている』とのことゆえ、#149しか該当しない、ということになるだろうが。

(註2) 玩物喪志:珍しい物に夢中になるあまり、大志を忘れてしまうこと。

(註3) うっちゃり: 相撲用語。相手が寄ってくるのを土俵際でこらえ、からだをひねって相手を逆に土俵の外へ出す逆転技。文筆家としての本道から外れて自身の趣味に関する分野の著述・翻訳において人生の後半を捧げた作家、という強烈な皮肉を込めた意味だろう。

そう言えば梅田晴夫は60年の生涯で6度結婚しているそうだ。
開高健の言うような、『結婚生活でも「忍耐」を経て50歳を過ぎたあたりからお互い慈悲で接しあえるようになる』ことと同様であるのが萬年筆との付き合い方である、という主張に対して、もっと手っ取り早く早熟なる幸せな日々を好んだのが梅田晴夫であり、それが「ザ・万年筆」の誕生に繋がったのかも知れない。

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因みに自分は学生時代にこの「ザ・万年筆」の発売直後、買うか買うまいか相当悩んだが、あの芋虫のようなギャザードの黒軸デザインがどうしても自身の嗜好に相容れず、その後、復刻モデルも登場したのだが未だに入手する境地には至っていない。但し、歴史的名品であることには間違いないので強い憧れはあるのだが、自分は萬年筆コレクターではなく、あくまでも萬年筆ユーザーとしての立ち位置にいる積りである。
自身のお気に入りの萬年筆については、上記の「忍耐派」か「早熟派」かも含めて別途改めて述べることにしたい。

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【参考文献】
『The万年筆』(梅田晴夫著/1974年6月読売新聞社刊)
『生物(
いきもの)としての静物(せいぶつ)』(開高健著/1984年10月集英社刊)

“No Ink, No Life”

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(2023/12/22公開)17807    ※ブログ内容は適宜、加筆・修正しています。

ゼンマイオヤジ

ゼンマイオヤジ

2023年になっても愛機ラジオミールがゼンマイオヤジを離さない。
でもロレもオメガもセイコーも、フジもライカも好みです。
要は嗜好に合ったデザインであればブランド問わず食いつきます。
『見た目のデザイン第一主義、中身の機械は二の次主義』

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