【写真の効能】
『人は何のために写真を撮るのだろうか。』
別に大それたことを考える必要はないのだが、物事、ふと我に帰ることがままある。
フィルムカメラと違ってデジタルカメラで撮影する場合、コストや枚数について誰も何も考えないだろう。撮影するだけであれば実質的には「枚数無制限」であり、「無料」でもあるからだ。
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フィルム価格の高騰が激しい昨今では余程の趣味人でない限り、わざわざフィルムを買って撮影し、現像にまで対価を払い、挙句の果てにはプリントせずにフィルムの画像をデジタルデータに変換してモニターで見るという、傍から見れば「だったら最初からデジタル撮影すればいいじゃん」、と思われる複雑怪奇なプロセスを愉しむ人も少なくない。しかし、これも考えようによってはデジタル時代が生み出したフィルム撮影の楽しみ方の一つかもしれない。
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【人は何のために写真を撮るのか】
個人的に直球で回答すれば3つの目的が挙げられる。
① 記憶や記録の為(SNAPや無目的なShooting等を含む)
② 生活の糧の為(商業写真)
③ 芸術の為
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自分を含めた一般人の大多数は趣味や思い出作りの為に写真を撮る。
つまり上記の①に該当するのが殆どだろう。
デジタルカメラを入手さえすれば(もちろん、スマホでも十分だが)、撮影の愉しみは無限大に広がる。特に機材購入に対する初期投資だけで楽しめるデジカメであれば、深淵なる写真撮影の愉しみの少なくとも入り口には立てるはずだ。
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【記憶と写真】
記憶を写真に残せば「劣化一途の脳内記憶」を蘇らせることが出来る。
「カメラは記憶のタイムマシン」、というのがベタな表現だが自分なりの解釈だ。
一方で、撮影した写真(画像)を見て感じるのは意図しない発見が写真には多々詰まっていること。写真を見て初めて、こんなシーンが撮れていたのか、と気付かされることも少なくない。つまり、眼の前にある「記憶」になるべき被写体以外の部分が写真に写っていることを撮影後に認識し、それを記憶に留めるという「記憶の後付け再発見」という効能が自分なりの愉しみともなっている。それも撮影直後に分かるのではなく、場合によっては数年後、数十年後に気付かされることもあるだろう。見る側の気持ちの変化でも「再発見」のタイミングは大きく変動するのだ。
主題以外の被写体への新たなる興味。
画像の隅に予想外の被写体が隠れていたり、ファインダー越しの目視ではとらえきれなかった一瞬の光景であったり、更に極端に言えばピクセル単位で垣間見る隠れた色合いの変化であったりと、デジタル撮影であるが故の微細で瞬発力のある画像を発見することは新鮮な驚きでもあり、それが感動に変わる。
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そんなどうでも良いことを考えつつシャッターを切ることも最近は一興であります。
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(2024/01/16公開)20460 ※ブログ内容は適宜、加筆修正しています。