1.CWC誕生の歴史:

CWCの設立は1972年。当初の社名は”Cabot Watch and Clock Co Ltd”。
1981年に”Cabot Watch Company”と社名変更している。

1967年: ヌーシャテル天文台コンクールにセイコーとスイスのCEH社が
     クォーツ時計のプロトタイプを出品
1969年: セイコーが「アストロン」で商品化したことで始まるクォーツショック勃発

CWC設立者のRaymond Mellor(通称Ray)は1962年にHamiltonロンドン店を立ち上げ、同社英国担当MDであったが、Hamiltonが英国国防省(Ministry of Defense=MoD)向け納入を採算上の問題から打ち切ることで、彼は自らの会社を立ち上げる決心をする。つまり、ざっくばらんに換言すればクォーツショックによりHamiltonは従来の機械式時計ではコスト的にも太刀打ち出来ずに撤退を余儀なくされ、Rayも失職することになり、人生で大きな岐路に立たされることになったと推測する。

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Rayの独立は今で云う所の「起業」であるが、彼のキャリアからしても相当の決心が必要であったことは疑いない。彼は第二次大戦時代には民間輸送船で大西洋航路で軍用品の輸送調達をしていた。そうした長年のキャリアからMoD向け商売のノウハウと人脈は豊富であったことは容易に想像がつく。しかし、クォーツショックによる機械式時計の大打撃をどのように挽回するかについては相当悩んだはずだ。

そして1972年にCWCが誕生する。Rayは48歳、クォーツショックから僅か2年後である。たった2年間でHamiltonを撤退にまで追いやったクォーツショックの威力たるや想像を絶するものがある。

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Rayは16歳の時に家族のつてでブリストルにあるタグボート会社に就職した。その後も大西洋用で(輸送船運搬業とは言え)船乗りとして働いたために、15世紀英国のJohn Cabot(1450-1498、実はイタリア人)が英国ブリストル港から北アメリカの未知の領土を求めて探検航海に出たことを、自らの「CWC船出」に重ね合わせて”Cabot” Watch Companyと命名したことは極めて自然な道理でだろう。RayはJohn Cabotの存在を昔から知っていたからこそのCWC命名を決断したのである。
ブリストルの”Brandon Hill”公園内にある高さ32m(105ft)の”Cabot Tower”を、当時Rayと息子が車から見ながらJohn Cabotへ思いを馳せたとCWCのHPでも記載されている。

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2.CWCとSilvermansの関係について:

CWCは歴とした時計ブランドであるが自社が製造メーカーではない。
製造は分業体制であるスイス時計業界に任せた。時計業界におけるお決まりの構図である。
  
過去のHamiltonとのつながりから、初期のCWC機械式時計にはHamiltonの部品が使われたとの情報もある。Rayとすれば、前職のHamilton時代に築いたネットワークを最大限に活用することはごく自然な流れであったことだろう。Hamiltonに生産委託していた可能性もあると推測している。

そして1980年、満を持してCWCは遂にETA製クォーツ搭載の3針時計G10をMoDに納入するに漕ぎ着けた。
当初、G10はそのケース厚から”FATBOY”と呼ばれたのだが、このG10こそがその後長年に亘りMoD向けに供給されてきた名作中の名作となる訳だ。

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CWCは上述した経緯からMoD向け専用にG10を納入していたが、ロンドンにある軍用物資調達会社(貿易商社)ことSilvermansがCWC時計を一般市場向けにも販売を開始することで、その後CWCの知名度は徐々に世間へと広がることになる。
そして、1990年にはSilvermansがCWCの経営を傘下に収めるに至る。Rayが66歳の時である。
Ray の当時の心境はご本人にインタビューしない限り把握できぬものの、恐らく彼としての一つの節目、人生のプロジェクトの一区切りであったのではあるまいか。

その後、Ray はSilvermansの役員として引退するまでCWCを見守っていたことは既述の通りである。と同時に彼は英国時計協会の会長、英国時計輸入業者協会の会長、王立芸術協会のフェローを務め、2019年に95歳の生涯に幕を閉じたのである。

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ウクライナ系ポーランド人の母親とポーランド移民の父親を両親に持ち、西ロンドンのChiswickで生まれたRaymond Mellor。父親はBBCに勤務する中で、所謂、労働者階級から中産階級のはざまで育ったRay。その美しい低音の美声から一時はプロ歌手も考えたという。
第二次世界大戦時の商船・軍艦での仕事、そして戦争の終わりにロンドンに戻り、ある夜会の帰りにバスで知り合った妻Phyllis Canterとの結婚。妻の親戚が経営するカトラリー&時計小売業での経験、クォーツショック、Hamiltonとの因縁とCWC起業、MoDへの納入…
妻Phyllisには2000年に先立たれてしまうが、Rayは2人の子供と4人の孫たちに囲まれて晩年を過ごすことになる。

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CWCとG10の誕生とその歴史ははRaymond Mellorの人生そのものであり、
G10には彼の人生に思いを馳せずにはいられない。
Ray Mellorの冥福を心より祈りたい。

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(2023/6/24公開)2810         ※ブログ内容は適宜、加筆修正しています。

ゼンマイオヤジ

ゼンマイオヤジ

2023年になっても愛機ラジオミールがゼンマイオヤジを離さない。
でもロレもオメガもセイコーも、フジもライカも好みです。
要は嗜好に合ったデザインであればブランド問わず食いつきます。
『見た目のデザイン第一主義、中身の機械は二の次主義』

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2 Comments

  1. 鈴木隆浩

    すごい知識ですね。
    CWCだけでもこれだけお書きになれるし、何冊も本を出版できる方だと感じています。
    ちなみに、 M11のモニターの保護フィルムも実にキチンと貼り替えられていてさすがです。
    私は少しだけですが、ずれちゃいました。(;^ω^)

    1. ゼンマイオヤジ

      液晶保護フィルム貼りは毎回嫌な作業ですが成功すると喜びもひとしおです。GM1もフィルムが傷だらけで購入8年後に張り替えたら見違えるように綺麗に見えました。やはり消耗品は適宜交換するのが得策のようです。

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