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【伝説のムック本】
1975年、1976年に発行されたこの2冊は自分のライフスタイルにとっての『道標』となった。続いて1985年に再度、読売新聞社から第3号が発行された。
今考えても当時の読売新聞社は画期的な企画をしたと思う。
更には1998年、マガジンハウスがその志を継いで単発ながら復活刊行だ。
【伝説のプロ3名が編集】
しかし、この1975年版と1976年版を実際に作製したのは読売新聞社から依頼を受けた3名によるもの。編集は石川次郎氏、ライターが寺崎央氏、カメラマンが馬場佑介氏のプロ中のプロ達である。石川次郎さんと言えば、その後1976年のPOPEYEに始まり、BRUTUS、TARZAN、GULLIVERと立て続けに伝説の雑誌をこの世に送り出した生みの親でもある。深夜番組トゥナイトのキャスター(1994-2002)も務めたので知る人も多かろう。
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1975年版と1976年版の2冊では、表紙イラストを始めとして学んだことも多い。
特にアメリカンワークブーツの世界の扉を開いたことは衝撃的であった。
日本には存在しなかった新たなアメカジ文化への開眼。
そしてその後に世界に影響を与えた日本独自のヘビアイ文化創出の魁ともなったのである。
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時代はスニーカーブームの夜明け前。CONVERSEとKEDSが2台巨頭であり、まだまだワークブーツが主役の座を保持していた時代である。
1970年代後半の国産ワークブーツで有名どころとしてはCedar Crestの日本国内生産品とPedwinだろうか。それに加えて神田の老舗平和堂靴店の名品チャッカブーツがあった程度だろう。余談だが大学へのバイク通学の途次、平和堂靴店には良く顔を出したものだ。
僕にとっての古き良き懐かしい時代であります。
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【ヤスヒコさんのイラストには心酔した】
スニーカー文化を紹介したのはその後に創刊された『POPEYE』になる。
その創刊号でRunner’sWorld誌の特集をイラストレーターの小林泰彦さんが解説している記事は衝撃的であった。Nike、adidas、PUMA、Saucony、オニツカTiger、Mizuno、Brooks等々がキラ星のごとく誌面に並んでいた。因みに、1977年度版の「シューズ・コンテスト」第1位はNewBalanceの320であった。
備忘録として当時のPOPEYE創刊号のから以下を掲載する。
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約半世紀近くの間、我がバイブルとして大切に保存してきたがここらが一区切りの潮時と判断。この4冊には心から感謝の気持ちを表したい。
今回、この4冊を次世代へバトンタッチするに際して備忘録として記す。
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(2023/2/6公開) ※ブログ内容は適宜、加筆修正しています。