【小雨降る青山にて】
十月の、細かな雨がぱらつく午後、僕は青山へと足を運んだ。
目的は、青山の複合文化施設「スパイラル・ガーデン」で開催されたライカ100周年展だ。
久々に渋谷からこの青山通りまで、人波を縫うようにして散策がてら歩いた。湿気を帯びた空気が肌にまとわりつく。この界隈は都内でも有数のファッション聖地であり、洗練された建物やブティックが立ち並ぶ。歩くだけで、街が持つ独特の空気感や、そこに集う人々のさりげないスタイルや自己主張が感じ取れる。そんな街並みを、僕は特に急ぐでもなく、ただ淡々と、この日の午後の風景として記憶に留めながら、入場の予約時間に合わせて目的地へと向かった。
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絵巻物のような「渦」がライカ100年の歴史を語りかけてくる。
ライカもここまでやるんだ、と圧巻の会場に心奪われた。2年前に新宿で開催された
「パテック フィリップ ウォッチアート・グランド・エキシビション 東京2023」をふと思い出した。
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【100年の軌跡、2025年の持つ二つの意味】
展示会場に足を踏み入れると、そこは静寂と、ライカという存在が持つ歴史の重みに満ちた空間が広がっていた。今回の展示は、ライカ初の量産35mm判カメラ「ライカⅠ」の生誕100周年に因んだものだが、同時に、2025年はライカが日本に初めて輸入されてからちょうど100年目に当たるという、二重の意味を持つ記念すべき年なのだそうだ。その輸入第一号機こそが、正にこの「ライカⅠ」であり、当時はレンズ固定式でエルマックス50mmF3.5が搭載された「A型」であったという。ガラスケースの中に鎮座する、信じられないほど小さな、しかし確かな存在感を放つその実物を目の当たりにした時、ライカユーザーの端くれでもある僕の胸中には、否応なく興味と興奮と、そしてわずかなアドレナリンが湧き出るのを感じた。それは単なる機械ではなく、写真という文化の礎を築いた「ライカの歴史と哲学」に対する生き証人になった瞬間であった。
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会場の一角では、巨匠・植田正治と、写真家としても知られる福山雅治という、時代も世代も異なる二人の写真空間が融合する貴重な「二人展」も同時に開催されており、モノクロームの世界が持つ普遍的な魅力を再確認する時間を味わえたのも大きな収穫となった。
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ライカ初の市販カメラ、レンズは非交換式で、初期のモデルには
ライツ・アナスチグマット(Leizt Anastigmat)50ミリF3.5が装着されている。

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Joel Meyerowitz
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ライカ2台持ちの御仁。こういうスタイリッシュな姿を見ると無性に嬉しくなる。
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(参考)
●ウル・ライカ(Ur-Leica):現在主流となっている35mm(フルサイズ)カメラの原型となった試作機。
●エルンスト・ライツ (Ernst Leitz):ドイツの光学機器メーカー「ライツ社(Ernst Leitz Optische Werke)」の経営者で、彼が1924年に、オスカー・バルナックが開発した35mmカメラ(後のライカ I 型)の量産化を決断したことで、現在のライカカメラの礎が築かれた。
●オスカー・バルナック (Oskar Barnack):ライツ社の主任技師であり、世界初の本格的な35mm(ライカ)カメラの発明者。喘息持ちで重いカメラを持ち運ぶのが困難だったため、小型軽量なカメラを考案し、1913年頃に最初の試作機「ウル・ライカ (Ur-Leica)」を製作した。彼の設計した初期のライカカメラは、後に彼の功績を称えて「バルナック・ライカ」と呼ばれるようになった。
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【雨上がりの原宿でフォトウォーク】
展示会の余韻に浸りながら帰路につく頃には、小雨は止んでいた。
表参道へと続く道は、平日にもかかわらず、若者や外国人旅行者で溢れかえっていた。
僕は、自分の愛機である超小型LUMIX GM1にライカ15mmF1.7を装着し、雑踏の中をフォトウォークした。行き交う人々のエネルギー、物欲がそそられるショップのウィンドウ、そして降り続く小雨で濡れた路面とカラフルな傘の花。それらすべてが、肉眼で見てさえも、どこか非現実的で、それでいて鮮明なイメージへと昇華されていく。
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フォトウォークに溺れた、この束の間の時間。
それは、100年の時を超えて受け継がれてきた写真への情熱が、確かに僕の手のひらに宿っていることを実感させてくれる、そんな静かで夢見心地の時間だった。
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人の記憶は必ず薄れる。
薄れた記憶は写真が救う。
カメラは記憶のタイムマシン。
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(2025/11/11公開)149000 ※ブログ内容は適宜、加筆修正しています。
