“ガーナで野口英世博士に出会えた”

【千円札の肖像画が野口英世から北里柴三郎に変わってしまった】

長年、慣れ親しんできた野口英世の千円札。
彼の特徴的な髪型が好きだったのだが、今年7月に三紙幣が20年ぶりに刷新されてしまった。
既に市中では新旧両紙幣が混在して出回っているが、あと数年もすれば「野口英世」も「樋口一葉」も「福沢諭吉」も姿を消して行くことだろう。旧紙幣と同時期を過ごしてきた自分の20年間を重ね合わせると少々寂しさを感じている。

余談だが今回の新千円札の肖像として登場した「北里柴三郎」は野口英世が師事した「先生」であった。つまり野口英世は北里柴三郎の門下生だったと言える。更には北里柴三郎が日本初の伝染病研究所(=現東京大学医科学研究所)の所長となったのだが、その場所と資金を提供したのが福沢諭吉である。そんな人間関係を新旧の紙幣から読み取ると実に感慨深い歴史と人間関係が浮かび上がってくる。

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説明するまでもなく野口英世は細菌学者・医学博士として数々の功績と逸話を残したのだが、黄熱病の研究で罹患してしまい、51歳の若さで命を落とした場所が現在のガーナの首都アクラであることを知る人は少ないだろう。彼の亡骸はニューヨークの墓地に埋葬されたのだが、アクラには今でも彼が黄熱病の研究を行った施設が関係各位の努力と情熱により保存されているのだ。

日本から遠く離れた西アフリカのアクラの地で野口英世博士に敬意を表して、彼の最後の研究施設となった「野口記念医学研究所」と隣接する「野口英世博士記念日本庭園」を見学してきた。

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日本庭園内の記念碑にはこう書かれている:

『野口英世博士像並びに記念庭園の記
此の地は千九百二十八年野口英世博士が黄熱病研究の途上その病魔のために没せられた地であって 此の像並びに庭園は博士の功績を永く記念するために設けられたものである。
ガーナ共和国駐在日本大使大隈信幸氏同じく中川進氏は博士の弟子赤津誠内博士等野口博士を讃える多くの人たちと協力して、ガーナ共和国並びに日本政府の支援によってこの像と庭園を竣成せしめこれを謹んでガーナ共和国へ贈る。

像と庭園はともに田畑一作の製作による。

千九百六十ニ年六月

ガーナ国野口英世遺跡顕彰会』

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「野口記念医学研究所」の建物内。
何とも殺風景な光景であるが、この時は自分以外の訪問者はゼロだった。

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野口英世の生家やご両親、妻のメリー・ダージスらの写真や多くの関連資料が展示されている。

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まるで小学校の理科実験室のような光景だがここで野口博士が「最後の研究」を行っていた。
後年、リニューアルされているので、当時の面影は想像するしかないのだが。

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案内係の説明ではこれが野口博士が使っていた当時の顕微鏡だと言うが、
実際にはレプリカであるらしい。

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野口博士のアクラ到着から実験風景や休日のピクニックの様子を描いたイラストが興味深い。
イラストでは野口博士が小さく見えるが、実際の身長も153cmと小柄な体格であったそうだ。

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小泉元首相の訪問記念プレートも並んでいた。
彼がガーナを訪問した背景については内閣府のHP に詳細なる説明があるので
興味ある方はソチラをご覧ください。

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ガーナへの入国時には今でも黄熱病のワクチン接種証明書(=通称イエローカード)が必須。

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「忍耐は苦い。しかし、その実は甘い。」
彼が残した語録の一つである。
その「忍耐」の二文字が上記日本庭園内の石碑にも刻まれていた。
大正4年10月、野口博士の自筆による刻印だ。

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今から97年も前の昭和2年。
日本から遥か遠い西アフリカのガーナにまで渡り、
黄熱病の研究に没頭した計り知れない情熱とエネルギーには驚くばかりだ。

アクラにて没した野口博士に敬意を表して黄金色に輝く胸像を撮影した。

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(2024/9/12公開)56330     ※ブログ内容は適宜、加筆修正しています。

ゼンマイオヤジ

ゼンマイオヤジ

2024年になっても愛機ラジオミールがゼンマイオヤジを離さない。
でもロレもオメガもセイコーも、フジもライカも好みです。
要は嗜好に合ったデザインであればブランド問わず食いつきます。
『見た目のデザイン第一主義、中身の機械は二の次主義』

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1 Comment

  1. 鈴木隆浩

    いつも勉強させていただいてます。
    毎回、素晴らしいブログですね。
    学ばないと。

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