【砦の記憶と湯の気配 ─ ナハルとアイン・アル・カスファの午後】
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ナハルの砦は、オマーンの記憶が石になったような場所だ。
首都マスカットから車で約1時間半。
山を背にしたこの砦は、ヤールバ朝の時代から存在し、17世紀にはイマーム・ビラール・ビン・ナスィルによって本格的に改修されたという。
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外壁は泥と石と、太陽の光でできている。
灼熱の午後、それでも不思議と落ち着いている空気がある。
観光地らしさがあまりないのがいい。
この日はぼく以外の訪問者は見なかった。
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入口で挨拶を交わすと、係員の男が「القلعة لها قلب، مثل الإنسان」と言った。
“この砦には心がある、人間と同じように”。
冗談か詩か、あるいは真実か。
それはわからなかったが、その言葉は、砦の壁の色よりも長く印象に残った。
塔の上から見ると、ヤシの木と農地がパッチワークのように広がっている。
この砦が昔、外敵からファラジ(灌漑システム)と村を守るために建てられたことを思い出す。
攻めるためでなく、守るための構造だ。
その“優しさ”のようなものが、空気に溶けていた。
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【その後、アイン・アル・カスファの源泉へ】
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「عين الكسفة」──「 الكسفة」は“割れ目”の意。
岩の裂け目から湧き出る源泉は、村の中心にある。
ここは地元の人々、特にムスリムたちの特別な場所だ。
沐浴、祈り、あるいは長い歴史の中で定着した生活の一部。
外から来た者──たとえば僕のような──が湯に触れることは、許されていない。
それを知っていたからこそ、僕は手を出さなかった。
けれど、湯けむりの立ち上るその場に立つだけで、確かに何かを感じた。
湯のそばで老人が石のベンチに腰かけていた。
何も言わず、手のひらで源泉から冷まされた湯をすくっては足元に流していた。
そのしぐさがすでに、祈りのようだった。
「ما كل ما يُرى يُلمَس」
“見えるものすべてに、触れられるとは限らない”
そんな言葉がふと、心に浮かんだ。
旅先で見逃さずにいたいのは、手で触れないもののほうかもしれない。
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パーキングに車を停めると、地元の少年たちが素足で走り回っていた。
湯けむりの中にオマーン特有のスローな時間が流れていて、誰も急いでいない。
焦げ茶のディシャダーシャを着た老人が、ベンチのふちに腰かけていた。
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この源泉、時には40度を超えることもあるらしい。
古くは巡礼者たちの疲れを癒やす場所でもあったという。
水路が引かれ、いまも村の灌漑の一部を担っている。
湯の匂い、足元の石のざらつき、遠くで聞こえるアザーン。
そういった断片が、ひとつの旅を静かに輪郭づけていく。
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帰り道、ナハルフォートの壁が夕陽でまっすぐに染まっていた。
赤でもない、金でもない、言葉にできない色だった。
旅をすると、自分が歴史のなかに一瞬だけ紛れこむ瞬間がある。
何百年と続いた風のなかで、ふとその一片に自分の影が重なるような。
その感覚を確かめたくて、ぼくはまたアラビア半島の道を走っているのかもしれない。
ホテルに戻ってオマーン湾を眺めながらそんなことを追想していた。
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人の記憶は必ず薄れる。
消えゆく記憶は写真が救う。
カメラは記憶のタイムマシン。
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(2025/10/27公開)142745 ※ブログ内容は適宜、加筆修正しています。

オマーン第二弾もすごいブログですね。