“トンガリ屋根の町・アルベロベッロでフォトウォーク”

【アドリア海を渡り、オリーブ畑を抜けて】

ドゥヴロブニクの旧市街を背景に、僕は次なる寄港地のアドリア海を横断するクルーズ船のデッキに立っていた。海はどこまでも深く碧く、その対岸には南イタリアのバーリ港がある。

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バーリ港も、これから訪問するアルベロベッロも、イタリアのブーツ型の国土の踵(かかと)部分に相当するプーリア州だ。
船が港に着き、タラップを降りた僕は、予約していた送迎バスに乗り込んだ。
車窓の外には、プーリア州特有の乾燥した大地が広がっていた。
一面に広がるオリーブ畑は、まるでどこかの記憶の中の風景を呼び覚ますようだった。
ガイドは「ここはイタリアの食料庫だ」と笑っていたが、その言葉通り、見渡す限り続く銀緑色の葉が風に揺れていた。バーリ港からアルベロベッロまで約50キロ。ほんの1時間足らずだ。退屈する間もなく、バスは白い壁と灰色の屋根が織りなす、夢のような町へと滑り込んでいった。

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見渡す限り一面のオリーブ畑。圧巻な光景だ。

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【石灰岩の魔法、トゥルッリの秘密】

アルベロベッロの町は、文字通り「おとぎの国」のような光景だった。
トゥルッリと呼ばれる伝統的な家屋は、石灰岩を積み上げただけの素朴な作りで、セメントのような接着剤は一切使われていないという。白い壁に、円錐形のとんがり帽子のような屋根。
その姿は、まるで子供が積み木で作った家が、そのまま大きくなったかのようだ。
そんな奇抜とも言える「おとぎの家屋」がここには1600軒もあるというから、実際に眼前にすると圧倒される。正直、僕にはおとぎの国を通り越して、ハリネズミの棲家にも感じられた。

この建築様式は、この地域特有のクーリ地方の知恵と技術の結晶だ。なぜこんな形になったのか、諸説あるらしいが、その古風で粗雑な外観は、どこか懐かしい風景を描き出す。
僕はカメラを取り出し、そのユニークな建築美をフレームに収め始めた。

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マリオ・パガーノ広場に面した美しい家屋。
地中海やアドリア海、そしてこの南イタリア地方には白いペンキが良く似合う。

ムゼーオ・デル・テリトーリオ「カーサ・ペッツォーラ」 (Museo del Territorio “Casa Pezzolla”)
15軒ものトゥルッリ(アルベロベッロ特有の円錐形の屋根を持つ伝統的な石造りの家屋)が
複合した集合体を利用して建てられたユニークな郷土史博物館。

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【サンタントニオ教会、丘の上の祈り】

土産物屋が軒を連ねる通りを彷徨い、モンティ地区の急な坂道を登り詰めると、白い大きな教会が見えてきた。中に入ると、外の喧騒とは違う静寂が支配していた。

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威風堂々とした巨大なトゥルッリ。
それがサンタントニオ(聖アントニオ)教会だ。1920年代に地元の住民のために建てられたというその教会は、周囲の住宅と同じく、白い壁と巨大な円錐形の石屋根で構成されている。内部は驚くほど静かで、外の太陽の熱を遮断するかのようにひんやりとしていた。石造りのアーチと、素朴ながらも厳かな雰囲気が漂う祭壇は、この特異な建築様式が信仰の場としても機能していることを示していた。外からの光がステンドグラスを透過して内部を淡く照らし出す様子は、まるでこの街の歴史と信仰が静かに交差しているかのようだ。
僕は短い間だが腰を下ろし、このユニークな空間でしばしの静寂を味わった。

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【白昼夢のような、夏の日のフォトウォーク】

再び外に出ると、屋根に描かれた不思議な紋章が目に留まった。
魔除けや豊作祈願の意味があるそうだが、丸や十字架のようなシンボルは、まるで烙印かタトゥーのように、一つひとつの家に個性を与えている。ガイドは、これらの家が真夏には40℃近くになっても、石造りの室内は20℃前後に保たれるのでエアコン要らずだと説明してくれたが、この古風な簡素な外観からは俄かには信じ難い。
歩き疲れた僕は、日差しを避けてアイスクリームを買った。冷たいジェラートが喉を通り過ぎるたび、この夏の白昼夢のようなフォトウォークが終わってしまうのが惜しかった。
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ガイドは”SUPERGA“の白いキャンバス製スニーカーを履いていた。
100年超の歴史を持つイタリア北部のトリノ発祥のスニーカーが妙に似合っていた。

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【ポポロ広場のオベリスクにエジプトの幻影を見た】

アルベロベッロの中心部、ポポロ広場にオベリスクが建っている。
これは、古代エジプトのオベリスクのような歴史的なものではなく、第一次世界大戦の犠牲者を追悼するために建てられた「戦争犠牲者記念碑(Monumento dei Caduti in Guerra)」だった。 
オベリスクは台座の上に置かれ、鉄製の装飾的なフェンスで囲まれていた。
台座には、戦没者を追悼する碑文が彫られており、一角には、古い大砲とヘルメットが置かれていた。100年前の鎮魂の記念碑には、その後に第二次世界大戦の犠牲者も記念の対象に加えられた。
浅はかで醜い争いは今も世界中で繰り返されている。

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人の記憶は必ず薄れる。
薄れた記憶は写真が救う。
カメラは記憶のタイムマシン。

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(2026/2/11公開) 183333    ※ブログ内容は適宜、加筆修正しています。

ゼンマイオヤジ

ゼンマイオヤジ

2024年になっても愛機ラジオミールがゼンマイオヤジを離さない。
でもロレもオメガもセイコーも、フジもライカも好みです。
要は嗜好に合ったデザインであればブランド問わず食いつきます。
『見た目のデザイン第一主義、中身の機械は二の次主義』

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