“空中都市・ドゥブロヴニクで過ごしたある夏の日”

【ベニスを起点にアドリア海、エーゲ海クルーズの旅へ】

その日、僕はベニスから出航したクルーズ船のデッキに立っていた。
アドリア海とエーゲ海を巡る旅の最初の寄港地、クロアチアの「飛び地」にあるドゥブロヴニクの朝焼けが、水平線の向こうでゆっくりと色を変えていく。
からっとして乾いた空気、それから微かな塩の匂い。
すべてがきちんと整列しているように見えた。
僕が隣にいる乗客に視線を向けると、彼女は何も言わずにただ海を見つめていた。
まるで風景の一部になったかのように。

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城壁に刻まれた記憶と歴史の断片

ドゥブロヴニクの旧市街は、まさに「空中都市」という表現がぴったりだった。
巨大な城壁が街全体をすっぽりと囲み、海の上に浮かんでいるように見える。僕らはメインゲートをくぐり、石畳の道を進んだ。太陽はすでに高く昇り、石畳は白く乾いていた。まるで長い時間をかけて蒸留された砂糖菓子のように。

この街は、常に時代の波に翻弄されてきた。かつては独立した海洋共和国として栄えたが、近代に入り、ユーゴスラビア連邦の一部となった。そして1990年代、連邦崩壊に伴う凄惨な戦争の中、この街もまた砲撃の標的となった。城壁に刻まれた無数の傷跡や補修された跡は、その血生臭い記憶を静かに物語っている。

地理的に見ても、ここはボスニア・ヘルツェゴビナの国土によってクロアチア本土から分断された「飛び地」だ。その特殊な立地は、歴史的に常に緩衝地帯としての役割を強いられてきたことを示している。けれど、それらは決して重苦しいものではなく、むしろ街の存在を深く肯定しているようだ。古い石が語る物語を、ただ受け止めるだけで十分だった。

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クロアチアは僕が初入国する国だ。
ドゥブロヴニクのクルーズ船用ターミナルから見た景色も印象的だった。

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【プラツァ大通りの喧騒と冷えたビールに癒される】

僕はピレ門をくぐり、旧市街の中へと足を踏み入れた。
目の前に現れたのは、ルジャ広場まで東西に延びるメインストリート、プラツァ大通り(Stradun/Placa Ulica)だった。通りの両脇にはショップやレストランが隙間なく並び、驚くほどの観光客で賑わっていた。石畳は太陽の光を反射して白く輝き、行き交う人々の話し声や笑い声が、乾いた空気に吸い込まれていく。

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ドゥブロヴニク旧市街をぐるっと囲む城壁の入口の1つでもあるピレ門。
この門は城壁の上を歩く観光ルートのスタート地点ともなっている有名な門であり、
いわば旧市街への正面玄関でもある。
ピレ門を抜けるとプラツァ大通り(Stradun/Placa Ulica)に出る。
ピレ門からルジャ広場まで東西に延びる旧市街のメインストリートで、
石畳の通り沿いにはショップやレストランが並び、多くの観光客で賑わいをみせる。

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中世ラグーサ共和国として栄えたクロアチア・ドゥブロヴニク旧市街の「ルジャ広場Luza Square」

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その喧騒の中、僕は適当な路上カフェに腰を下ろした。テラス席からは、活気ある通りの様子が見えた。注文したジョッキに入った生ビールは、驚くほど冷えていて、乾いた喉をゆっくりと潤してくれた。

真夏の太陽の下で飲むビールは、まるで幻のように美味しかった。周りにはオリーブの木やミモザの匂いが漂っていた。その匂いは、どこか懐かしく、僕の記憶の古い引き出しをこじ開けるようだった。遠い昔、まだ僕が何者でもなかった頃に嗅いだことがあるような、そんな匂い。僕はビールを一口飲み、目を閉じた。風が僕の間を通り抜け、傍に座る女性客の髪を微かに揺らした。その瞬間、世界中の時間が止まったかのような、奇妙な静寂に包まれた。
僕らは私語を交わした。他愛もない、取るに足らない話。けれど、その時の僕らにとっては、それが世界のすべてだった。この場所でしか成立しない、特別な私語。

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プラツァ大通りでビールジョッキを片手に路上観察に勤しむ。

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ピレ門のすぐそば16面のレリーフが飾られた噴水がある。
1438年に建てられた「オノフリオ大噴水」は、美しいドーム形状で街のシンボルだ。
オノフリオ大噴水は中世ラグーサ共和国時代に貴重な水を確保するためにつくられた。
今も絶え間なく流れる水は美味しい天然水で、街の人や観光客の喉を潤している。

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【空中散歩と見えない境界線】

夕暮れ時、城壁の上を歩く「空中散歩」を楽しんだ。そこは最大の観光スポットであり、赤いレンガで出来た街並みは表面的な美しさに満ちていた。けれど、一歩旧市街から離れれば、つい最近まで地雷が埋まっていた土地が存在していたという事実が、否応なく脳裏を横切る。

城壁から見える蒼く美しいアドリア海と、旧市街越しに見える街並み。そのコントラストは、この街が持つ二面性を象徴しているかのようだった。深い青と、鮮やかなオレンジ。そして、その裏側に隠された血と破壊の歴史。

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1667年の大地震(および後のユーゴスラビア紛争時)で街の大部分が被害を受けた際、復興作業で屋根は伝統的なオレンジ色の瓦で統一されている。その背景には、クロアチアは雨が比較的少ない地域であるため、日本の瓦のように防水性を高めるための釉薬(ゆうやく)を塗る必要があまりないこともあり、粘土を焼いただけの安価な「素焼き」の瓦が多く使われている。つまり、この素焼き瓦に含まれる酸化鉄が、焼成過程で自然なオレンジに近い赤褐色の発色を生み出している訳だ。

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旧市街を取り囲む城壁の長さは約2kmもある。
その上の遊歩道を歩くことは正に「空中散歩」をしているように感じる。

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現在も屋根の色や素材に関する厳しい建築規制が存在しており、
これにより、特徴的なオレンジ色の統一された街並みが保たれている。 

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愛機の「SEIKO5 FIFTY FATHOMS」と共に。

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船が静かに港を離れると、僕はデッキから「空中都市」が遠ざかっていくのを眺めた。街の明かりが一つ、また一つと灯っていく。僕は次の寄港地へと移動した。けれど、僕の意識の片隅には、あの乾いた空気と、オリーブとミモザの匂いが、いつまでも残り続けるだろう。
まるで古いレコード盤に残された、微かなノイズのように。

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写真を撮るか撮らないかは、気付きの問題だ。
気付いたときに写真を撮る。
その繰り返しによりリアルな現実が映像へと変換され、

永遠に色褪せない記憶となる。

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(2026/2/04公開)179900    ※ブログ内容は適宜、加筆修正しています。

ゼンマイオヤジ

ゼンマイオヤジ

2024年になっても愛機ラジオミールがゼンマイオヤジを離さない。
でもロレもオメガもセイコーも、フジもライカも好みです。
要は嗜好に合ったデザインであればブランド問わず食いつきます。
『見た目のデザイン第一主義、中身の機械は二の次主義』

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1 Comment

  1. 鈴木隆浩

    クロアチア、素敵なところですね。行ってみたくなりました。
    毎回、素敵なところを紹介していただき、ありがとうございます。

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